出だしで躓く

出だし以外は躓かない

変わりたくない

  今日は買い物に行った。必要なものを買うだけで一万円かかったのにはちょっと引いた。ただ、卒論のための本(これが最も高かった)を買うときには心が弾んだ。化粧品を買っても服を買ってもこのときめきは無かった。というか、装飾品で心が弾む経験が最近めっきり減ってしまった。理由は簡単だ。身につける物が変わっても私自身は変わらないからだ。いや、多少は変わる部分もあるだろうが、私はもっと思考や価値観なんかの根本的なところを変えてしまいたいのだ。その方が価値があるように思うし、今後の生き易さにも直結するからだ。

  それにしても、今のままではやっていけない、というタイミングがあと何度訪れるだろうか。その度に骨を折り苦しい時間を耐えなければならない。未来のことを思うと途方に暮れる。投げ出したくなる。年をとれば若い時の悩みは大抵どうでもよくなる、というのは本当だろうか。そうなってしまったら、それはそれでダメなのではないか。今まで、思い悩んでいない時など無かったような気がしている。あるとすれば、過労に潰されている時だ。過労だけは私の人生から必ず排除しなければならない。

  なんだか悩むのが趣味のようになってしまったが、心穏やかに生きたいのは本当だ。ここ数年は七夕の短冊にも書いている。 願いが叶っているようには思えないが。そもそも、織姫と彦星サイドは絶対に了承していないと思う。人間の願いを叶えてやる理由が無い。大体、どちらが叶えるんだ。分担するのか。

  つまり自力でどうにかするしかない。現実の中から穏やかな部分だけ抜き出して繋ぎ合わせたら、理想の生活になるのだろうか。

 

  深夜にこういうことを考えるのは良くないのだろうな。しかし、早寝早起きが健康に良いという根拠は無い。朝の方が頭が冴えている、というようなことも結局は個人差の範囲だ。しかし、早寝早起き=充実した生活、というイメージが染み付いてしまった私には、向いていないと思いながらも早起きチャレンジをするしかない。

 

  与えられた価値観に沿って生きることが幸せだと一度でも思ってしまうと、大変な思いをするのだな。