評価癖
広い教室は席が埋まるのも早い。ある後輩は、友達と並んで座れない日にはレジュメだけをもらって外のテーブルに座り、勘で感想カードを書いて出しているらしい。もちろん授業の内容など聞こえている訳もないので、スマホで調べたりして書いているのだろう。映像作品を見ることが多い講義だが、ほんの一部分しか見せないため、感想を書いた部分をその日の講義で紹介していたかどうかは賭けだ。「この作品は以前見たことがあり、〇〇の場面も今回の趣旨に当てはまり…」といった書き出しなら何回かは誤魔化せるだろうが、ずっとは使えない。つまり、その回は捨てているようなものだ。
正直、「甘えるな」と思った。しかし、よく考えてみるとそれはおかしい。その後輩が甘えたことによって私は何も困らない。犯罪行為や人道に反するようなことでない限りは、私は彼の行動に口出しする意味は無い。
それに、甘えたっていい。甘えたいときに甘えられる社会は望ましい。いつも厳しく追い詰められている必要は無いし、何より健全ではない。
つまり、評価する癖がついているのだ。自分のことも他人のこともいちいち評価せずにはいられない。社会全体にそういう空気が蔓延していることもあり、完全に毒されていた。誰がどう生きたって私が気にすることではない。 好ましいものだけ取り入れていけばいい。
誰かに悪い評価を下されても、私は気にする必要がないのだ。私は「評価してください」と言っていないし、その人は評論家でも裁判官でもない。信用のない人が下す評価など、気にかけなくていい。
私は、ただ自由に、楽に生きていたい。