出だしで躓く

出だし以外は躓かない

ふりかえり

  半年くらい放置してしまったと思っていたが、9月の頭にも更新していて少し驚いた。6月頃はそんなにバタバタしていただろうか。人は忘れる生き物だということを実感している。

  ところで、今日ここに来たのは私の中の幼児が泣き出したからだ。「頑張ったのになんで来てくれなかったの!」と泣いている。もしかしたら小学生かもしれない。私は子供が苦手なので「そんなこと言っても仕方ないじゃん」という気分になってしまうが、ここで「悲しかったね。見に来てほしかったんだよね」と慰めるのが正解らしい。そりゃそうだ。

  内なる子供を慰める自分、というものを上手くイメージ出来ないので、あとで絵に描いて慰めてあげようと思う。本当はすぐやるべきなのだろうが、私だって準備が必要だ。

 

  さて、幼児(小学生)が泣いている様子を横目で見ながら気づいたことがある。身近な人間が関わっているとしても、人は興味のないものは基本見ないということだ。当たり前すぎることだが、友人が卒論も睡眠も放り出して取り組んでいると知れば興味も出てくるでしょ?と甘く考えていた。近い人間でも、基本的に他人は自分にそれほど興味がないのだ。人の興味を引くものは人の感情だ。熱意や狂気をもっと全面に押し出したポスターにするべきだった。

  しかも、参加メンバーはそもそも作品を発表する機会がない者が多い。私の広報活動のせいで一生日の目を見ない作品が生まれていたかもしれない、と思うとぞっとする。結果的に来場者数は予想を越えた多さとなり、運が良かったと思う。メンバーの作品を預かっている自覚が足りなかったという事実はよく覚えておこう。

 

  自分の感情を表に出すことはずっと課題だった。ここでもそれが必要になるとは思わなかった。多くの努力が「興味ない」の一言で無になる世界に足を踏み入れたのだな、と改めて感じた。