出だしで躓く

出だし以外は躓かない

明日を生きられる程度のポジティブ

  栗原類が「ネガティブすぎるモデル」としてテレビに出だした頃、何かのインタビューで「実は究極のポジティブ」なのだという記事を見たことがある。結局「なんとかなるだろう」という気持ちがあるからネガティブでいられるらしい。確かに、ネガティブな考え全てを真に受けていたらとっくに自殺している。ここまで生きてこれたということは、それくらいのポジティブさはあるのだろう。私もそんなものか。

  しかし、ネガティブすぎて体に症状が出るのはやめたい。昨日は腹痛と吐き気に襲われ、心当たりもあったから体調不良だろうと思っていたが、面接が終わるとすぐに治った。心因性だったのだ。本当に人のこころは不思議だ。(漢字表記とひらがな表記で意味が異なるらしいが、よく分からないのでひらがなにしておく)

  後輩は、就活をしているというだけで私のことをすごいと言ってくれているが、わたし以上に面接が苦手な人間など私の後輩にはいないように思う。なんだかんだ肝が据わっている子ばかりだ。誇らしく思うし、尊敬している。しかし、しゃべれなければ企業側は評価してくれないし(当たり前だが)、そういう評価の落差が辛くもある。友人や後輩は人柄について、先生は勉強面で良い評価をしてくれるが、企業には面接スキルでだいたい悪い評価をされる。面接で話せなくなる程度の熱意なら要らないのだろう。

  現代日本でも精神論は根強い。クララでさえも火事になったら走って逃げられると思っている。クララの足が動かないのは心因性ともいわれているし栄養失調だともいわれている。仮に心因性であれば走れる可能性もあるだろうが、それだって賭けのようなものだろう。就活は、クララを会議室に取り残して「本当に弊社に入りたいなら走れるよね!?」と火をつけているようなものだ。入りたくても出来ないものは出来ないのだ。本当に分かっているのだろうか。人手不足でありながら、出来ないことも精神力でカバーできる人間でないと採用しないとは、ずいぶんと余裕があるものだ。偏った人間でも採用すればいいし、補い合うように配置すれば業務面でも困らないだろう。まぁ、そもそもクララは就活などしないだろうが。

 

  私がこんなに疲弊しているのはこういうことを強いられているからだ。就活はいつどんな時でも流暢に話せる人間のためのシステムだ。私に向かないのは分かり切っていた。それでも逃げずに就活している。なんと健気なのだろうか。

 

   明日を生きられる程度のポジティブさを持って、私は今日も家を出る。