出だしで躓く

出だし以外は躓かない

気分屋

 中国人の女の子に「気分屋さんだね」と言われたことがある。英語の授業中だった。確か、あなたはどんな時に嬉しくなりますか?と聞かれて、晴れているときです、と答えた。もちろん英語で。その後に、日本語で「気分屋さんだね」と。意味がよく理解できず、3回ほど聞き直してしまった。「気分屋」という言葉を忘れていたせいだ。「気持ちがコロコロ変わる」と言われて、ようやく気づいた。たしかに私は気分屋さんだ。

 

  気分屋さんという表現はなんだか可愛いけど、私は今日そのせいで困っていた。ゼミの発表資料が一向に出来上がらず、約束していた後輩が急用で来れなくなり、お互いに気づかないというミスで先生との合流が遅れる……これらが2時間のうちに立て続けに起こった。あまりにも上手くいかないので、悲しみに浸りながらカルボナーラを食べた。いちおう書いておくが、私はカルボナーラが好きだ。

その後また発表資料づくりに取り掛からないといけなかったのだけど、なんだか体が重く、胸に水が染みているような気分だった。何をやる気もせず、早く帰って寝たかった。こんなんじゃ困るなぁ、と思った。なぜこんなに感情が体に直結しているのだろうか、これは私だけの仕様なのか、とグルグル考えていた。

  すると、友達と偶然会った。たまらず先ほどあったことを話したのだけど、それはなぜか「面白い話」としてアウトプットされたのだった。なんとなくそれでは気持ちが晴れない気がして、後で「ヘコんでいる」と言い直した。友達の反応を見て、やはりこういう切り口だと言葉に詰まるのだな、と思った。私もそれ以上は何も言わなかった。

  どこへ行くにもついて来て、何も聞かずとも自分のゼミの話をしてくれて、こういうところが可愛いな、と思った。その子と別れてからは、力技で項目の中身を埋め、祈るような気持ちで本を借りる手続きをした。

  そしていよいよゼミ発表。しどろもどろになるかと思っていたけど、意外と言いたいことは全て言えたので、わりと気分が良い。今日を振り返り、まさに気分屋さんな一日だったと思う。特に書いてはいないけど、資料をなかなか読み進められなくて焦ったり、約束の時間が近づくとウキウキしたり、そういった細かい変動もあった。

  どんな感情になっても機械じかけのように動ける人を尊敬している。そうはなれないだろうけど、気分屋さんは気分屋さんで楽しいと思えるようになったらいいな。