出だしで躓く

出だし以外は躓かない

『君の膵臓を食べたい』が気持ち悪い

  文庫版を母が買ってきていたので読んでみた。一言でいえば、これは少女漫画だ。そして、私は少女漫画が好きじゃない。つまり、この作品はどう頑張っても好きになれない。

 

  まず主人公とヒロインが好きじゃない。他人に興味がない主人公と自分の感情第一のヒロイン。まるで『涼宮ハルヒの憂鬱』のキョンハルヒ。高校生という多感な時期でありながら、ここまで他者の反応を必要としない女子はいない。思春期の女子なんて共感でしか繋がれないようなものだ。恋愛感情もないのに、相手が否定しても「仲良し」と言い張ったり、乗り気じゃない人間を一泊二日の旅行に連れ出したりしない。でもフィクションだからいいの?何がいいの?

  正反対の二人が補い合うみたいな良い話にしたいんだろうけど、そうなってないから。主人公の初めての友達になって、人との関わり方を教えてあげて、成長させる。あなたは私にとって必要な人間だよ、あなたは魅力的だよ、みんなに分かってもらおう、と語りかけられて死後の友人関係まで保証されてる。そこまでしつつ暗い面は極力見せないで主人公に負担をかけない。こういうご都合主義なのがダメなの。何も出来ない主人公が急にモテ出してハーレムを作る漫画と同じ。同じなんだよ。漫画でやってくれ。

 

  そもそも、ヒロインが主人公を「恋人にしたくない」と思っている、という設定にも無理がある。冗談とはいっても、何度も誘うような素振りを見せたり抱きついたりしているのだ。もちろん、実際は恋愛感情がありながら、本人が無いと思いたがっているという線もある。自らの余命を知っているから、心の内側に入り込むようなことはしない。それなら納得できる。

  短い時間で距離を縮めて、互いに相手が自分のことをどう思っているか気にしていて、互いに憧れ合っている。こんな二人を恋愛関係にしなかったのは、爽やかな青春物語という枠に入れたかったからとしか思えない。前述したように、性的な面を見せる場合もあった。それでいて「恋愛関係は望んでいません」とするのは白々しい。二人が心を通わせていたことすら嘘っぽく見える。そうした方が読者の感動を誘えるからでしょ?と冷めた目でしか見れない。

  既に漫画化されているようだけど、初めから漫画として出せばよかったと思う。第二の「四月は君の嘘」みたいになれたんじゃないだろうか。読んでないけど、一度だけアニメは見たことがある。ヒロインの性格、わりと似ている思うよ。死にそうなキャラを底抜けに明るくて図々しい性格にするのが流行ってるの?流行ってるんだろうね。そういう人間がふと不安そうな表情を見せたり、死への恐怖を語ったりするとより響くんだろうね。あー馬鹿馬鹿しい。使い古された手を使われると冷めちゃう。余命宣告を受けた人間は絶望したり焦ったりして生きているに違いないっていうイメージがあるからわざと逆を行きましたってね、はいはい。定番の手法を使ってるのが悪いんじゃない。冷めさせるような出来なのが悪い。上手くやれば伝統芸能枠に入れたのに。

  そして、最後の遺書部分。括弧の中がまぁあざとい。読者に分からせる為です!!!!と全身で言っている。本文もあざといけど真骨頂はやっぱり括弧書きだよね。ここまで読者を意識されると気持ち悪いし萎える。推理小説の謎解き部分でももっと上手くやってるわ。探偵が気づいたことをお話してます、という体を守ってるわ。

 

  もしかして、これ主題なんか無いんじゃない?爽やかな青春物語(のつもり)を見せて感動した〜と言わせたいだけなんじゃない?本の帯になんて書いてたと思う?「読後、きっとこのタイトルに涙する」だって。つまり、そういうトリックを仕掛けてますよ、と高らかに宣言している。タイトルの意味がメインコンテンツになる。しかし、それはメインを張れるようなものじゃない。じわじわ水漏れのようにネタバレしていたのもあって、タイトルの正体が分かったところで「まぁそうだろうな」としか思えない。読者は、タイトルの意味を考えてくださいと言われたら、読後に「やられた!」と言いたくなるような展開を期待する。そして、この本の帯は「期待していいですよ」と言っている。それがこれでは、読者に失礼ではないか。

  同じようにタイトルの種明かしをメインにしている『すべてがFになる』と比べても酷い出来だ。こちらは殺人事件の解決というインパクトの強いネタに絡めているから「やられた!」と思いやすいという点もあると思う。しかし、それを考慮しても本作はもうどうしようもない。

 

  なんで自分がここまで怒っているのか、やっぱり「説得力に欠ける」の一点だろうな。ヒロインが「17年、私は君に必要とされるのを待っていたのかもしれない」とまで言う理由がさっぱり分からない。だからご都合主義に見える。私がこの主人公を魅力的だと思えたら「感動した!」と言えるんでしょうね。

 

追記(2017/8/31)

  最近この話をする機会があったのだが、また新鮮な怒りが湧いてきたので吐き出しておく。いちばん気持ち悪く思えるのはやはり主人公とヒロインだ。思考が個人として独立していない。作者の都合で動かされているただの駒だ。それぞれの意思で動いたことなど一度もないのだ。それが、ご都合主義であり説得力に欠けるという印象の元になっている。

 中高生を中心にウケているのだろうが、今の中高生は忙しすぎて、考えながら小説を読む体力が残っていないのだろう。たしかに、何も考えずに読むにはいいかもしれない。そうだとしても、登場人物のあまりの空っぽさに違和感を覚えないのだろうか?それすら感じないほど、感覚をシャットアウトして読んでいるのだろうか。やることが多い現代では、受け身でも楽しめるコンテンツは重要だ。それは分かっている。しかし、映画や漫画などの媒体でも展開されるほどこの作品が大ヒットしている現状では、読み手が心配になってしまう。そんなに世の中高生は疲れきっているのか。そうなのだろうな。

  (少なくとも読書中は)考えることを放棄した中高生、自らの将来を直視したくない私、政治について考えようとしない民衆、すべては疲労が引き起こしたものだとも考えられる。それだけで長時間労働は悪だといえる。そういう人間は国家が動かしやすいのだろうが、私たちはそれに全力で反抗しなければいけない。黙っていても私たちの幸せを実現してくれる政府ではないのは、嫌というほどわかっているだろう。絶対に考えることをやめてはいけない。ケーキを出されたからとりあえず食べる、という人間になってはいけない。なぜこの人はケーキを食べさせようとしているのか、なぜこのケーキなのか、これを食べたら私はどうなるのか、それらをちゃんと考えられる人間でなければいけない。太るだけで済めばいいが、毒を差し出されることもあるのだ。

  自衛のために、そして自分の生き方を貫くために、考えることはやめてはいけない。そんな大事なことを思い出させてくれる作品だった。二度と読みたくはないが。