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出だしで躓く

出だし以外は躓かない

恥の感覚

  「恥ずかしいと思うだけ無駄な気がしてきました。」と、授業終わりの感想シートに書いた。平安時代、貴族の男性は冠や烏帽子などの帽子をずっと被っていて、頭部を見せるのは裸になるのと同じくらい恥ずかしい事だったらしい。病床に伏していても烏帽子は被っている。そんな時代だった。

 

  私は帽子を被る方が恥ずかしい。鏡を見たら「顔が情報過多」と思ってしまう。それは、私がメガネを掛けているからだ。どっちかでいい。絶対どっちかでいい。

  それに、年中日傘を差しているからもはや帽子を被る意味がない。

  その割に、帽子屋でバイトをしていた時期がある。恥ずかしいから、が理由ではないが、すぐ辞めた。ちょっと帽子に詳しいだけの人になってしまった。ちなみに、オススメはトルネードワッチ。響きが格好良いから。それに、二通りの使い方が出来ていちおう実用的でもある。

 

  恥ずかしいと思うだけ無駄。たしかにそう思った。カラオケでもう恥ずかしい気持ちと闘いたくない。恥ずかしいと思っていると気づかれるのが恥ずかしいので、必死に隠す。そういう類の闘いである。ヒトカラはもっと恥ずかしいので中学生以来していない。カウンターやドリンクバーコーナーでわいわいしている集団と鉢合わせるのが恥ずかしい。

  もしこの気持ちが無くなったら、確実にヒトカラに行っている。実は1ヶ月ほどカラオケに行きたい欲を押さえつけている。私も友達も就職活動をしていて、死ぬほどスケジュールが合わないからだ。いっそ一人で、と思ってからは半月が経った。

 

  恥ずかしいという気持ちと溜まりゆくストレスの行方、どちらが大事かといえば明白である。

 

  こんな文章を公開していることがもう恥ずかしい。