出だしで躓く

出だし以外は躓かない

吐き出し口

 吐き出し口としてここを利用しているわりには決定的な表現を避けるよな、と気づいた。どこまで書くか、いつも葛藤がある。匿名でやってるくせに。

 これは自己開示が苦手だったりすぐ抽象的な話をしてしまう事につながるものだ。別にそれで良いといえば良いのだが、練習として全て吐き出すような日記を書こうと思う。

 

 最近、私はライターのバイトを始めた。初心者なので2000文字にも満たない記事を2時間以上かけて書く。時給でいえば最低賃金の1/4だ。それでも、私に売れるものはそれしかない。時間と肉体の在りかを指定されるような働き方は私にはできない。

 ライターはネットのゴミを生み出す仕事だと思っていた。でも私が今書いているものもネットのゴミだ。そう思って納得させた。それでも、調べ物をしたい時に「◯◯って何?使い方は?どこで買えるの?」みたいなタイトルの記事が出てくると本当にイラっとする。この記事は検索で上位に出てきたりしない。そこが決定的に違う。まぁ私の納品した記事が検索上位になるのかは不明だが。

 

 書く作業に取り掛かるまでがとにかく遅い。「いつ書き始めるか」にいつも悩まされている。飲食店でバイトをしているときは、バイトの前日と当日の出勤前に嫌気が差すくらいだった。じゃあ同じように日にちと時間を決めて取り組むか?それが出来ないからとこのバイトを始めたくせに。とにかく、今はこのストレスとどう付き合うかが課題だ。いま大きく二つあるストレス源のうちの一つだ。私は、ライター業すら出来なかったらもう賭けの中で生きていくしかなくなる。売れないと食えないという賭けだ。何としてもライター業に「適応」したい。こういう気持ちが生み出すストレスなのだろう。自ら生み出したストレスに苦しむの馬鹿みたいだね。でも私はずっとこんな風だったし、これからもそうだろう。まぁ、そうやって認められるようになっただけでも成長だな。

無題

 誰のためになるんだろう、何のためになるんだろうと思うときが多々ある。でも、自分だけのために何かをやることはそんなに悪いことではないよね。

 自分のために生きていく。それが今年の目標。年が明けても人間はすぐには変わらない。結局はいつもと同じような生活で、でもいつの間にか決定的に何かが変わっていたりする。人生をやる気が全然ない。隠居生活である。

断薬について

 思うんだけど、医者は私の辛さに気づけなくて、私がこれがしんどいあれがしんどいって言って処方決めてるんだよね?じゃあ私が私の辛さに気づけたら医者いらないじゃんと思うのね。結局どうにもできないし。対症療法としてすらまともに機能しないこともある。

 鬱の治療に薬はいらないとしてる治療者は結構いるのよね。研究者にも医者にもカウンセラーにもいる。私もその立場を取る。人生、何を選ぶかでしかない。

月曜日

 眠剤は少し効いている。相変わらず早朝に目は覚めるし日中はめちゃくちゃ眠くて2回は昼寝をしている。少しずつ好きなことをやれるようになってきた。疲れるのを嫌がって(というより常に疲れていて)先週はあまり出来ていなかったから、大きな進歩である。学校にはまだ行ってない。少し行ける気にはなってきた。