出だしで躓く

出だし以外は躓かない

妄想に取り憑かれる

  ここ数日、嫌な妄想に取り憑かれている。それの多くは寝る直前にやってくる。妄想の中でどうにか対処していると、怒りが湧いてきて目が冴えてしまう。そうして今の時間になってしまう。せっかくだから、とここに来たものの、特に書くことは決まっていない。

 

  この場を利用して、逆に気分が良くなる妄想をしてみてはどうだろう。現実でギリギリありえそうなものだ。

  たとえば、お風呂で湯船にゆっくり浸かり、体が温まった状態でふかふかの布団に入り、すぅっと眠りにつく。まぁ今回は叶わなかったことだが……。

  もしくは、友達と一緒に知的好奇心を満たす場に行った後、すごくお腹が空いた状態で牛タンを食べる。これは以前の体験をそのまま追っているだけではあるが…。この時の牛タンは本当に美味しかったなぁ。

 

なんだか、嫌な妄想に比べてオリジナリティが無いし抽象的である。セリフまで考えるような繊細さがほしい。次は本気で考えてみる。

 

一人で山(気軽に入れて体力的にキツくない)に入り、気が済むまで写真を撮る。まだ何本か紅葉している木がある。その赤に見惚れる。日の光に反射する葉の一枚一枚を観察する。そこから絵に使える新しい表現を見つける。深呼吸して綺麗な空気をたくさん取り入れて、神聖な気持ちになる。日々の葛藤や俗な情報を忘れる。じんわりと希望が持てるようになる。スマホでも何枚か写真を撮り、LINEのホーム画面に設定する。地面と靴が擦れる音をよく聞く。歩く喜びを見出す。ずんずん進む。股関節を大きく使っている感覚に嬉しくなる。頭頂部と羽の外側が黒く、腹は白く、残りはすべて黄緑色の鳥を見つけ、スマホで撮る。鳥に詳しい友人に写真を送る。返信を心待ちにしながらさらに進む。お腹が空いたら何を食べようか。事前に買ってきたものを山で食べるか、降りてからどこかの店で食べるかで迷う。どちらもやろう。なぜかクリーム玄米ブランのチョコレート(普段は全く食べないし食べようとも思わない)を買ってきているので、歩道脇の段差に腰掛けてそれを食べる。咀嚼音が響く。食べながら木の緑を見るとまた違った印象だ。あぁ目が潰れてきた。この続きを考えながら布団に入ればスムーズに入眠できそうだ。おやすみ。

ふりかえり

  半年くらい放置してしまったと思っていたが、9月の頭にも更新していて少し驚いた。6月頃はそんなにバタバタしていただろうか。人は忘れる生き物だということを実感している。

  ところで、今日ここに来たのは私の中の幼児が泣き出したからだ。「頑張ったのになんで来てくれなかったの!」と泣いている。もしかしたら小学生かもしれない。私は子供が苦手なので「そんなこと言っても仕方ないじゃん」という気分になってしまうが、ここで「悲しかったね。見に来てほしかったんだよね」と慰めるのが正解らしい。そりゃそうだ。

  内なる子供を慰める自分、というものを上手くイメージ出来ないので、あとで絵に描いて慰めてあげようと思う。本当はすぐやるべきなのだろうが、私だって準備が必要だ。

 

  さて、幼児(小学生)が泣いている様子を横目で見ながら気づいたことがある。身近な人間が関わっているとしても、人は興味のないものは基本見ないということだ。当たり前すぎることだが、友人が卒論も睡眠も放り出して取り組んでいると知れば興味も出てくるでしょ?と甘く考えていた。近い人間でも、基本的に他人は自分にそれほど興味がないのだ。人の興味を引くものは人の感情だ。熱意や狂気をもっと全面に押し出したポスターにするべきだった。

  しかも、参加メンバーはそもそも作品を発表する機会がない者が多い。私の広報活動のせいで一生日の目を見ない作品が生まれていたかもしれない、と思うとぞっとする。結果的に来場者数は予想を越えた多さとなり、運が良かったと思う。メンバーの作品を預かっている自覚が足りなかったという事実はよく覚えておこう。

 

  自分の感情を表に出すことはずっと課題だった。ここでもそれが必要になるとは思わなかった。多くの努力が「興味ない」の一言で無になる世界に足を踏み入れたのだな、と改めて感じた。

表紙デザインの話

  今日は昨日の反動でやりたいことばかりしていた。去年はあまりにも胃が荒れたために投げ出した表紙のデザインも、今年は楽しくやれている。難しい難しいと呟きながら悩むことが本当に楽しい。デザインなんてほぼやったことが無いけど、やりたいと思うことは初めてのことばかりだから仕方ない。

  写真の上から何か描くのも面白そうだなと考えたのだけど、風景の写真しか撮っていないからなかなか難しいことに気づいた。手を加えるなら中央に人がいる方がいい。今度だれかと会うときはたくさん写真を撮らせてもらおう。
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朝は急かされたくない

  今日はキャリアセンターに寄り、その後はほとんど卒論を書いていた。テーマは決まっているものの、まだアイデア出しの段階だ。どれだけ散らかしても最終的にはちゃんと収まることを私は知っている。無駄に焦らないように気をつけよう。

 

  さて、今日はゆっくりと3時間かけて準備をし家を出た。一番のんびりするのに向いている時間帯は朝だと思う。帰宅してからは「アレはしなくてよかったのか」といろいろ考えてしまうし、早く寝るために段取りを組まないといけないので意外と忙しい。そうやって工夫して早く床についてもなかなか寝付けず、こうやって電子画面を覗いてしまうのだけど。

  しかし、のんびりしているとすぐに昼になってしまうのが問題だ。1ミリも焦らずに朝を過ごし、午前中からバリバリ作業をするためには、6時には起きていなければならない。ついに朝活というものに手を出す日が来たのだ。やることが多いと休息も計画的に取らなければいけないから大変だ。もしこれをきっかけに意識高い系のような生活になったら面白いな。

宝箱をなくした私たちは

この話は以前どこかで書いた気がするのだが、忘れたくないのでもう一度書いておく。

 

  2年ほど前、「妄想の方がマシだな」と思ったことがある。それまでは、どんな時も現実の方が優れていると信じていたし、頭の中でしか叶わない願いがあるのは不幸なことだと思っていた。しかし、そうではなかった。いらないと思うような現実がこの世にはあるのだ。

  妄想というよりは期待というべきかもしれない。これは絶対においしいはずだ、と思って食べたケーキが口に合わなかった時、そのケーキを買わなかった方が幸せだったはずだ。そしてそれは、おいしいはずだ、と期待した時点である程度の幸福が得られるということである。つまり、実際にケーキを食べるという現実が無くとも幸福感は得られる。なのに、私はしばしばケーキを手に入れることに執着してしまう。

  このケーキは真っ白な生クリームに覆われている、イチゴがたくさん乗っている、あのケーキと同じだ、あのケーキと同じようにおいしいはずだ、という期待ができる時点で経験が土台として出来上がっており、それ自体が幸せなことだ。頭の中で、あの時と同じ幸福を生み出したのとほぼ同じだ。参照できる経験があることにもっと感謝すべきだ。ケーキが食べられない不幸を嘆くのではなく、何度でも思い出せる幸せを噛みしめる。そうやって生きていきたい。

 

変わりたくない

  今日は買い物に行った。必要なものを買うだけで一万円かかったのにはちょっと引いた。ただ、卒論のための本(これが最も高かった)を買うときには心が弾んだ。化粧品を買っても服を買ってもこのときめきは無かった。というか、装飾品で心が弾む経験が最近めっきり減ってしまった。理由は簡単だ。身につける物が変わっても私自身は変わらないからだ。いや、多少は変わる部分もあるだろうが、私はもっと思考や価値観なんかの根本的なところを変えてしまいたいのだ。その方が価値があるように思うし、今後の生き易さにも直結するからだ。

  それにしても、今のままではやっていけない、というタイミングがあと何度訪れるだろうか。その度に骨を折り苦しい時間を耐えなければならない。未来のことを思うと途方に暮れる。投げ出したくなる。年をとれば若い時の悩みは大抵どうでもよくなる、というのは本当だろうか。そうなってしまったら、それはそれでダメなのではないか。今まで、思い悩んでいない時など無かったような気がしている。あるとすれば、過労に潰されている時だ。過労だけは私の人生から必ず排除しなければならない。

  なんだか悩むのが趣味のようになってしまったが、心穏やかに生きたいのは本当だ。ここ数年は七夕の短冊にも書いている。 願いが叶っているようには思えないが。そもそも、織姫と彦星サイドは絶対に了承していないと思う。人間の願いを叶えてやる理由が無い。大体、どちらが叶えるんだ。分担するのか。

  つまり自力でどうにかするしかない。現実の中から穏やかな部分だけ抜き出して繋ぎ合わせたら、理想の生活になるのだろうか。

 

  深夜にこういうことを考えるのは良くないのだろうな。しかし、早寝早起きが健康に良いという根拠は無い。朝の方が頭が冴えている、というようなことも結局は個人差の範囲だ。しかし、早寝早起き=充実した生活、というイメージが染み付いてしまった私には、向いていないと思いながらも早起きチャレンジをするしかない。

 

  与えられた価値観に沿って生きることが幸せだと一度でも思ってしまうと、大変な思いをするのだな。

対人恐怖症

  就職活動で大人と関わることについて、怖いという感覚はあったものの、そのうち慣れるだろうと思っていた。最近になって、慣れるどころかさらに恐怖が強くなっていることに気づいた。図書館で調べてみると、(地元の大きな書店ではなんと一冊も在庫がなかった。)対人恐怖症の症状にぴたりと当てはまった。書かれている症例があまりにも私と一致するので、少し泣いてしまった。耐えられなくなって、友達にLINEした。「もうダメかもしれない」という主旨の連絡が来たときに適切な対応が出来る人はすごいと思う。そのまま漫画に描けるような励ましを受け、かなり落ち着いた。症状が軽減するまで就職活動は休まなければいけないと考えていたが、治療と同時進行でやっていける気がした。生活をしていくことに自信が持てた。少しだけ、未来に希望を見出した。持つべきものは友達、とはよく言ったものだ。今日ほど友達を有難く思った日はない。

 

  そのまま本を借りてきて、今日から少しずつワークをやっていこうと思う。カウンセラーを信用するのが難しいので、こういうのは自分でやった方がいいと分かっている。ここが治療日記のようになるかもしれない。なぜだか、ちょっと面白そうな気がしている。