出だしで躓く

出だし以外は躓かない

表紙デザインの話

  今日は昨日の反動でやりたいことばかりしていた。去年はあまりにも胃が荒れたために投げ出した表紙のデザインも、今年は楽しくやれている。難しい難しいと呟きながら悩むことが本当に楽しい。デザインなんてほぼやったことが無いけど、やりたいと思うことは初めてのことばかりだから仕方ない。

  写真の上から何か描くのも面白そうだなと考えたのだけど、風景の写真しか撮っていないからなかなか難しいことに気づいた。手を加えるなら中央に人がいる方がいい。今度だれかと会うときはたくさん写真を撮らせてもらおう。
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朝は急かされたくない

  今日はキャリアセンターに寄り、その後はほとんど卒論を書いていた。テーマは決まっているものの、まだアイデア出しの段階だ。どれだけ散らかしても最終的にはちゃんと収まることを私は知っている。無駄に焦らないように気をつけよう。

 

  さて、今日はゆっくりと3時間かけて準備をし家を出た。一番のんびりするのに向いている時間帯は朝だと思う。帰宅してからは「アレはしなくてよかったのか」といろいろ考えてしまうし、早く寝るために段取りを組まないといけないので意外と忙しい。そうやって工夫して早く床についてもなかなか寝付けず、こうやって電子画面を覗いてしまうのだけど。

  しかし、のんびりしているとすぐに昼になってしまうのが問題だ。1ミリも焦らずに朝を過ごし、午前中からバリバリ作業をするためには、6時には起きていなければならない。ついに朝活というものに手を出す日が来たのだ。やることが多いと休息も計画的に取らなければいけないから大変だ。もしこれをきっかけに意識高い系のような生活になったら面白いな。

宝箱をなくした私たちは

この話は以前どこかで書いた気がするのだが、忘れたくないのでもう一度書いておく。

 

  2年ほど前、「妄想の方がマシだな」と思ったことがある。それまでは、どんな時も現実の方が優れていると信じていたし、頭の中でしか叶わない願いがあるのは不幸なことだと思っていた。しかし、そうではなかった。いらないと思うような現実がこの世にはあるのだ。

  妄想というよりは期待というべきかもしれない。これは絶対においしいはずだ、と思って食べたケーキが口に合わなかった時、そのケーキを買わなかった方が幸せだったはずだ。そしてそれは、おいしいはずだ、と期待した時点である程度の幸福が得られるということである。つまり、実際にケーキを食べるという現実が無くとも幸福感は得られる。なのに、私はしばしばケーキを手に入れることに執着してしまう。

  このケーキは真っ白な生クリームに覆われている、イチゴがたくさん乗っている、あのケーキと同じだ、あのケーキと同じようにおいしいはずだ、という期待ができる時点で経験が土台として出来上がっており、それ自体が幸せなことだ。頭の中で、あの時と同じ幸福を生み出したのとほぼ同じだ。参照できる経験があることにもっと感謝すべきだ。ケーキが食べられない不幸を嘆くのではなく、何度でも思い出せる幸せを噛みしめる。そうやって生きていきたい。

 

変わりたくない

  今日は買い物に行った。必要なものを買うだけで一万円かかったのにはちょっと引いた。ただ、卒論のための本(これが最も高かった)を買うときには心が弾んだ。化粧品を買っても服を買ってもこのときめきは無かった。というか、装飾品で心が弾む経験が最近めっきり減ってしまった。理由は簡単だ。身につける物が変わっても私自身は変わらないからだ。いや、多少は変わる部分もあるだろうが、私はもっと思考や価値観なんかの根本的なところを変えてしまいたいのだ。その方が価値があるように思うし、今後の生き易さにも直結するからだ。

  それにしても、今のままではやっていけない、というタイミングがあと何度訪れるだろうか。その度に骨を折り苦しい時間を耐えなければならない。未来のことを思うと途方に暮れる。投げ出したくなる。年をとれば若い時の悩みは大抵どうでもよくなる、というのは本当だろうか。そうなってしまったら、それはそれでダメなのではないか。今まで、思い悩んでいない時など無かったような気がしている。あるとすれば、過労に潰されている時だ。過労だけは私の人生から必ず排除しなければならない。

  なんだか悩むのが趣味のようになってしまったが、心穏やかに生きたいのは本当だ。ここ数年は七夕の短冊にも書いている。 願いが叶っているようには思えないが。そもそも、織姫と彦星サイドは絶対に了承していないと思う。人間の願いを叶えてやる理由が無い。大体、どちらが叶えるんだ。分担するのか。

  つまり自力でどうにかするしかない。現実の中から穏やかな部分だけ抜き出して繋ぎ合わせたら、理想の生活になるのだろうか。

 

  深夜にこういうことを考えるのは良くないのだろうな。しかし、早寝早起きが健康に良いという根拠は無い。朝の方が頭が冴えている、というようなことも結局は個人差の範囲だ。しかし、早寝早起き=充実した生活、というイメージが染み付いてしまった私には、向いていないと思いながらも早起きチャレンジをするしかない。

 

  与えられた価値観に沿って生きることが幸せだと一度でも思ってしまうと、大変な思いをするのだな。

対人恐怖症

  就職活動で大人と関わることについて、怖いという感覚はあったものの、そのうち慣れるだろうと思っていた。最近になって、慣れるどころかさらに恐怖が強くなっていることに気づいた。図書館で調べてみると、(地元の大きな書店ではなんと一冊も在庫がなかった。)対人恐怖症の症状にぴたりと当てはまった。書かれている症例があまりにも私と一致するので、少し泣いてしまった。耐えられなくなって、友達にLINEした。「もうダメかもしれない」という主旨の連絡が来たときに適切な対応が出来る人はすごいと思う。そのまま漫画に描けるような励ましを受け、かなり落ち着いた。症状が軽減するまで就職活動は休まなければいけないと考えていたが、治療と同時進行でやっていける気がした。生活をしていくことに自信が持てた。少しだけ、未来に希望を見出した。持つべきものは友達、とはよく言ったものだ。今日ほど友達を有難く思った日はない。

 

  そのまま本を借りてきて、今日から少しずつワークをやっていこうと思う。カウンセラーを信用するのが難しいので、こういうのは自分でやった方がいいと分かっている。ここが治療日記のようになるかもしれない。なぜだか、ちょっと面白そうな気がしている。

夏休み

  今月から大学は夏休みに入っている。ちょっとだけ就活をして、後はひたすら寝ている。7月に入った辺りから眠気が強くなった気がする。起きようするがあまりにも眠くて心の中でブチ切れた後そのまま寝てしまう、ということが確実に増えている。人は暑さに負けるものなんだろう。だからこその夏休みなのだろう。本当に社会に出られるのだろうか。日本も早く2ヶ月のバカンス制度を取り入れるべきだ。

 

  生活に楽しみが無いのが問題だ。体力が消耗しきっていて外に出られないのだが、家の中の楽しみなど限られているのだなと気づいた。安全で快適ではあるが、楽しくはない。危険や不快さを引き受けなければ快楽は得られないのだと改めて思った。

 

  とにかく、外へ出ればいいのだ。明日こそ早起きするぞ、と擦り切れた決心を持ち出した。

言いたいことを言うのは難しい

  色々とゴタゴタしたことが続いて疲れ切ってしまった。先週から学業を犠牲にして休んでいたのだが、やっとこうして文章が書けるくらいには回復した。

  ゴタゴタした中で、人間関係の断捨離を行った。今週中には捨てたかった関係を全て捨ててしまえるだろう。理想を追うばかりで、人と人との関係をあまり作れていなかった気がする。その場においての「正解」をかなり意識していて、思っていたような反応が返ってこないと腹を立てたりしていた。表には出していないつもりだが、実際はどうだか分からない。

  正解でなくとも、思ったことを言っていい。というか、言わないと生身の人間としての付き合いができないと気づいた。そもそも、私が勝手に作り出した正解であって、私さえ良ければ守る必要もなかった。

  求められてもいないのに聖母のようになろうとしていた。それで無茶な要求をぶつけられたのだろう。私は人間だし、嫌なことは嫌だし、「受け入れてくれるかも」なんて気持ち悪い期待はかけられたくない。それでいいんだ。そう思える一歩を踏み出した週だった。

  今後は「嫌なことを嫌だと言う」チャレンジをしていこうと思う。急に始めると怒りや不機嫌などの感情を過剰に使ってしまいそうだから、程度さえ気をつければ大丈夫そうだ。優しさやコミュ力といった有限資源をどう使うか、これはよく考えていきたい。それを使うに値しない人間もいるし、使ってしまったばっかりに起こったトラブルもあった。全体量を増やすのも大事だが、今は節約の時期だと思った。

 

  いつまで経っても人間関係で困るのは宿命なのだろう。